ランニング今月の経過
四月の目標は100kmだが、今日まででランニング距離は計30km。
後半はもっと走らないと間に合わないぞ。
読み方
昨晩、食器を洗いながら新ドラマ「重版出出来」をチラリと見ていた。黒木華は器用な女優さんだなあと感心しつつ、そして安田顕が出ていて興奮しながら、ドラマタイトルを確認して「あれっ?」のなったのである。
タイトルは「重版出来」→「じゅうはんしゅったい」だそうで、これを見たわたしの口からは、
「あれれ? おかしいですよ?」
と自然にひふみん口調が出てきた。
なぜならば、かつて書店で働いて時分には、これは「じゅうはんでき」と読んでいたからである。わたしだけでなく、先輩をはじめ他のスタッフもおなじように「○月×日じゅうはんできでーす!」と話していたはずだ。
これはなにか重大な勘違いを続けていたのかと思いググってみると、おおむね以下のことがわかった↓
正しい読み方は「しゅったい」。
出版社では主に「しゅったい」と正しく読まれることが多く、一方で書店では「でき」と読まれることが珍しくない。
どうやら出版社によっては「でき」派もあるらしい。
書店で働いてたときはそんなことさっぱり知らなかった…大手書店ではどう読んでいるのだろう。
なるほどわからん
ドットインストールでJavaScript入門の動画を一気見したけど、なるほどよくわからん。
いったいなんのためにJavaScriptを使っているのか(皮肉とかではなく単純にわかってない)
コンソールに結果を表示させることになんの意味が(HTMLではブラウザ上に反映されていたからね)
動画中でやっていること自体はわかるけど、どういう目的や応用を見据えてやることなのかさっぱりわかってない…馬鹿すぎる…
とはいえ、こういう事態になることはおおむね予測できていたので、引き続き勉強。
JavaScriptの勉強に突入
ドットインストールでHTMLとCSSの入門の動画を見て、JavaScript入門の動画に入った。
なんだかわかるようでよくわからん…
まずはアウトラインが知りたいので、細かいところはあまり気にせずどんどん先に進んで、また戻ってこよう。
電王戦を見ながら考えたこと
まだはじめたばかりのブログなのに、アクセス数が微増していた。どうやら「電王戦」というキーワードで増えたよう。
しかし肝心の電王戦関連の記事は一日目の昼休憩の五手詰めの記事だけ。解けなかったのがあまりに悔しくて自戒を込めてアップしたものだ。
せっかく電王戦というワードで見に来てくれた方をがっかりさせたくはないので、観る将歴はまだ一年半ほどであるにも関わらず、今回の電王戦の簡単な感想と、これからのコンピュータ将棋との付き合い方についてめちゃくちゃ片寄った意見を偉そうに覚え書きしておこうと思う。
The time has come
山崎叡王vs ponanzaの一局の結果はご存知のとおり、山崎叡王の負けとなった。序盤でリードされたままどんどん形勢が悪くなっていった様子は、言葉を選ばずに言えば、叡王の見所はまるでなかったということになってしまうだろう。対局後の会見がお通夜のようであったことにも影響しているだろう。
とはいえ、ニコニコ生放送は全体を通して楽しく見れたし、解説陣や聞き手、検討室まで非常に豪華でぜいたくな顔ぶれだったことは間違いない。これまでの電王戦のコンテキストもあって、観る将オタクの方々はなかなか楽しめたのでは?
アルファ碁がイ・セドルをボコボコにして囲碁界に衝撃を与えまくったのは記憶に新しく、ニュースでも頻繁に取り上げられた。
このアルファ碁ショックに比べれば、将棋界の人間vsコンピュータの変遷はずっとゆるやかなものだ。レギュレーションに依る部分も多いが、どっちが強いのかというのはギリギリの部分で競っていることができていたし、ドワンゴを中心にエンターテイメントを成立させて、多くの新将棋ファンを増やすことに寄与したことは大きな成果だと思う。
しかし、けれども、プロ棋士vsコンピュータのガチンコ勝負にも潮時が来たように思う。
Keep calm and ...
ガチンコ対決はもう成立できないとは思っているが、できないと思う以上に、もう別にガチンコでなくてよくない? という思いもある。
なんたってコンピュータである。純粋に強さを追求するのもとても大切なことだけど、ほんとうはもっといろんなことができるはずだ。将棋界という膨らみと、それと対立させられてきたコンピュータ将棋とを、どう親和させていくかが肝になっている。
ややこしく言ったけれど、要はもっともっとバラエティ色を押し出していくことが現実的な考え方であろうということ。
継ぎ盤どころか五人チームを組ませてごりごり検討しながら対局したり、
好みや癖を特徴付けて仮想羽生、仮想渡辺、いや仮想米長を作って、新進気鋭の若手たちと対局させたり、
そういうお祭り型にスライドしていくことが、自然だと思うし、それはそれで見てみたい。
しかし、こうなるためには間接的にでも人間側の敗けを認めることが必要になるし、そのときにプロ棋士の尊厳がどのくらい揺さぶられることになるのかは正直よくわからない。個人的にはプロ棋士のヤバさはまるで揺らいだりしないのだけど。
Carry on.
こんなふうなことを、中尊寺の盤面を前に苦闘する山崎叡王を見つめながら考えていた。
第二局では、どうかあまり気負わずに飄々と、いつも山崎八段らしい将棋が見たい。ニコ生の画面のまえの私たちをびっくりさせてほしい。
まとまっていないが、未だ興奮したままの頭で、こうして残しておく。