電王戦を見ながら考えたこと

まだはじめたばかりのブログなのに、アクセス数が微増していた。どうやら「電王戦」というキーワードで増えたよう。
しかし肝心の電王戦関連の記事は一日目の昼休憩の五手詰めの記事だけ。解けなかったのがあまりに悔しくて自戒を込めてアップしたものだ。

せっかく電王戦というワードで見に来てくれた方をがっかりさせたくはないので、観る将歴はまだ一年半ほどであるにも関わらず、今回の電王戦の簡単な感想と、これからのコンピュータ将棋との付き合い方についてめちゃくちゃ片寄った意見を偉そうに覚え書きしておこうと思う。


The time has come

山崎叡王vs ponanzaの一局の結果はご存知のとおり、山崎叡王の負けとなった。序盤でリードされたままどんどん形勢が悪くなっていった様子は、言葉を選ばずに言えば、叡王の見所はまるでなかったということになってしまうだろう。対局後の会見がお通夜のようであったことにも影響しているだろう。

とはいえ、ニコニコ生放送は全体を通して楽しく見れたし、解説陣や聞き手、検討室まで非常に豪華でぜいたくな顔ぶれだったことは間違いない。これまでの電王戦のコンテキストもあって、観る将オタクの方々はなかなか楽しめたのでは?

アルファ碁がイ・セドルをボコボコにして囲碁界に衝撃を与えまくったのは記憶に新しく、ニュースでも頻繁に取り上げられた。
このアルファ碁ショックに比べれば、将棋界の人間vsコンピュータの変遷はずっとゆるやかなものだ。レギュレーションに依る部分も多いが、どっちが強いのかというのはギリギリの部分で競っていることができていたし、ドワンゴを中心にエンターテイメントを成立させて、多くの新将棋ファンを増やすことに寄与したことは大きな成果だと思う。

しかし、けれども、プロ棋士vsコンピュータのガチンコ勝負にも潮時が来たように思う。


Keep calm and ...

ガチンコ対決はもう成立できないとは思っているが、できないと思う以上に、もう別にガチンコでなくてよくない? という思いもある。
なんたってコンピュータである。純粋に強さを追求するのもとても大切なことだけど、ほんとうはもっといろんなことができるはずだ。将棋界という膨らみと、それと対立させられてきたコンピュータ将棋とを、どう親和させていくかが肝になっている。
以前からすでに、コンピュータ将棋の打ち筋を参考にする若手プロ棋士はすでに現れているし、プロスポーツとしての将棋を維持するためには、より上手に絡んでいくほかない。
ややこしく言ったけれど、要はもっともっとバラエティ色を押し出していくことが現実的な考え方であろうということ。
継ぎ盤どころか五人チームを組ませてごりごり検討しながら対局したり、
好みや癖を特徴付けて仮想羽生、仮想渡辺、いや仮想米長を作って、新進気鋭の若手たちと対局させたり、
そういうお祭り型にスライドしていくことが、自然だと思うし、それはそれで見てみたい。

しかし、こうなるためには間接的にでも人間側の敗けを認めることが必要になるし、そのときにプロ棋士の尊厳がどのくらい揺さぶられることになるのかは正直よくわからない。個人的にはプロ棋士のヤバさはまるで揺らいだりしないのだけど。


Carry on.

こんなふうなことを、中尊寺の盤面を前に苦闘する山崎叡王を見つめながら考えていた。
第二局では、どうかあまり気負わずに飄々と、いつも山崎八段らしい将棋が見たい。ニコ生の画面のまえの私たちをびっくりさせてほしい。

まとまっていないが、未だ興奮したままの頭で、こうして残しておく。